こんにちは。コドモドラゴンです。これを書くことに少し悩みましたが、、、書きます。
もしかして、眠れていませんか?考えすぎていませんか?
・気持ちが心についていかなくて辛い思いをしている人
・どう立ち直っていいかわからない人
・一番近くで辛い思いをしている人がいる人
・どう支えてあげればいいかわからない人
このような方がいる場合に、少しでも寄り添うことができればと思っています。
ぼくがこの1年間で感じたことを話すことで、
「鬱」に悩んでいるひとの少しでも支えになれば幸いです。
※ ぼくは現在33歳、4歳の息子と妻との3人家族です。
各記事や見出しごとに現在で感じていること
その時感じたことを織り交ぜて述べます。
ご自分に重ねることができるところのみで構いませんのでお読み下さい。
「行きたくない」は受け止めて。今は休まる場所が必要なはず。
僕が一番心から救われたのは、仕事に行けなくなったとき。
「行きたくないねん・・・」と呟いた僕に対して、
「そっか。ラーメンでも食べに行く?」と妻が一言言ってくれたことでした。
今思っても、すごい些細な一言だったと思いますが、僕にはとても救いになりました。妻も覚えてないかもしれません。ここできっと、「いやいや、しんどくても行かなあかんもんは行かなあかんやろ」と詰められていたら、正直今これを書けている自信はないです。
正直なところ、このような言葉が全員に響いたり、伝わったりするとは限りません。
「受け止める」=「休んだらいい」という簡単な話でもないのは知っています。
もし、隣にいる人が、元気だったときと比べて明らかに「ちがう」ならば、
何を言っても「受け止めてあげてほしい」ということを伝えたいのです。
僕は自分で言うのもなんですが、「真面目」です。仕事に熱かった、真面目人間です。
しかし、これを読んでいる方も「真面目」を短所ととらえる方は多いのではないでしょうか。
そう、「真面目」が故に、「臆病」なんです。一つ一つの自分の行動を、事前にしっかりと考え込んでおかないと、その結果に毎度へこんでしまうのです。少なくとも僕はそうでした。
10年間の仕事生活の中で、何度も同じように「行きたくない」と感じることはありました。
しかし、「自分がいなければ、とんでもない迷惑がかかってしまう。」その一心で体を動かしていました。もしかしたら、それのひずみがここへきて一気にきたのかもしれません。
しかし、今なら思えることですが、あえて自分に声をかけるとすれば(今は落ち着いているので)
- となりの人が休んだときに、自分が何かとんでもなく困ることあるかな??
- 自分が休んでも、さほど、周りは変わらず生活してるで。
- 一番大事なのは、家族やろ?ほんならこのままやとまずくない?
- 「身体の悲鳴(発熱など)」も、「心の悲鳴」も同じやで。休まないと逆に迷惑がかかることもあるやろし、何より、悲鳴が出たままでよう行かされへんわ。
- 要するに、全然自分を一番優先して大丈夫やで?
自分なのでこのような言い方ができますが(笑)みなさんの場合だと何と声をかけますか?
”変える”より”変わる”が人生には必要
声はかけず、受け止める姿勢をただ表すことも良いと思います。
もし、あなたの周りに、辛い思いをしている人がいる方。きっと戸惑っていると思います。
どうしてあげればいいんだろう。どうするのが正解なんだろう。とぐるぐると考え込んでいるのではないでしょうか。
しかし現状を「変えよう」とするあまり、あなたも辛くなってませんか?
正解を追い求めて、今すぐその人の辛い気持ちを「変えよう」としていませんか?
変えようとする具体的行動ではなく、あなたの辛い気持ちが”変わる”ことで、その人は救われるかもしれません。
その人はきっと、「心から寄り添ってくれる人」だけが今は必要だと思います。
もし仮に、自分が辛い立場にある方は、きっと周りの人の言葉で、
傷ついて動けなくなってしまっている人もいるかと思います。
「いやいや!そんな風に言ってないよ。気にしないで」の言葉もきっと意味がないでしょう。

これだけは言わせてください。自分をまずは一番大切にしてください。
絶対に変なことだけは考えないでください。
「あなたがどんな状態であっても、あなたはあなたです。」
ちなみにこの言葉は前の職場の後輩にもらいました。とてもありがたかったです。
包み込んでくれる人(家族、親、友達、恋人)に全てを委ねてみてください。あなたのことを一生懸命に考えてくれる人がきっといるはずです。
「受け止める」=「休んだらいい」
正直なところ、自分の体験や思いを書くことにまだ少し抵抗があります。みんながみんな、同じ思いなわけがないとわかっているからです。励ますつもりが逆効果になったり、些細な一言で本当に傷つくことがあるのも知っているからです。
でもこれだけは確実に言えることがあります。
・足の骨が折れている人に、歩け!って言います?
・高熱が出ている人に、早く仕事に行け!や家事をしろ!と言います?
言わないですよね。というかもし言われたことがあるなら、その人からは離れたほうがいいです。
逃げてください。
だって、もっと重症化するのが目に見えているじゃないですか。危険です。
それと同じだと思うんです。要するに、これ以上はだめだ。「行きたくない」となっている場合は、重症化するんです。心は目に見えにくいのが難点です。
自分や隣にいる人が、そこから離れる、逃げる判断をするのはよくないですか?
そういう意味合いで、
「受け止める」=「休んだらいい」
であるならば、本当にいい判断だと思います。
「なんでも休ませたらいい」は甘えじゃない?と言う声もあるかと思いますが、
ここまでのお話で、甘えか甘えではないかは、辛い方の近くにいる「あなた」に判断をしていただけたらいいとは思います。でも、辛い思いをしているその人が、「離れる」という判断をできないほど重症化している可能性があることは、心に留めておいていただければ幸いです。
話せる人がいないとき

自分には、話せるひとはいません。
こうおっしゃる方も多かれ少なかれいると思います。
あなたの今までを知っている方が、今すぐ近くにいない場合はあると思います。
しかし、あなたを今から知ることができる人はいます。
相談という形であれば、世の中には、寄り添って話を聞いてくれる場所や人もいます。私でよければここにもいます。
または、医療的なことで言うならば、かかりつけの内科医の方も話を聞いてくれます。きっと正しい判断をしてくださるでしょう。僕ははじめにただ話を聞いてもらいに行きました。
最近、IT関係の友人と話をする機会があったのですが、本当に冗談は抜きで
OPENAI の 「チャットGPT」 に相談の形で文章を打ってみても良いと思います。
とても建設的な立場であなたに寄り添って相談に乗ってくれます。
(あらゆる根拠をインターネットから探し出して、あなたにあった回答をしてくれます。)
よければこちらをはじめに打ってみてください。
「あなたは、私に寄り添ってくれるよき相談相手です。これから私の悩みを伝えます。」
こちらを打ち込んだ後に、困っていることを、会話のように打ち込んでみてください。
ある意味では、誰にも言いたくないことを言うこともできる場所になり得ると思います。
終わりに
人に会うというのはとてもエネルギーがいることです。
まずは自分の好きだったことができるようになるまで、回復することを願っています。
何か、ご意見や、またこのような場合は?などのご意見があればおっしゃってください。
※あくまで、体験をもとにお話をしているので、専門的な視点は抜けていることはご了承ください。
Thank you for reading.
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